私が看護師になった志望理由。ナースが辛いときは初心に戻ろう!

看護師になった理由

ここでは、現役ナース数人の方に「看護師になった理由、志望理由」を投稿していただきました。

皆さんこんな理由で、看護師になったんですね^^

看護師という職業は、とても激務で辛いことたくさんありますよね。

辞めたいと思うこともあると思います。

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そんな時に、自分が何故看護師の道を歩きはじめたか?理由があると思います。

初心に帰ってみることも必要ですね。

私が看護師になった志望理由

私が看護師さんに憧れた理由は、小学生の時。

看護師 52歳の方の現役ナースです。

現在私は、52歳の女性で、今も現役で神奈川県内で看護師の仕事を続けています。

私が、看護師の仕事にあこがれを抱いた年齢は、小学校5年生の時の事です。

当時、近所に住んでいた従兄弟の0歳の男の子の赤ちゃんが、夜中に引きつけを起こして急に具合が悪くなり、父親の友人が総合病院の内科の先生をしていましたので、お願いをして病院で見てもらう事ができました。

まだ生後間もないかわいい赤ちゃんが、大病しましたので、とても心配でしたが、入院して、徐々に回復していきました。

母と一緒に毎日のようにいとこのお見舞いに病院に行きましたので、看護師さんも私たちを覚えてくれて優しく声をかけてくれる様になりました。

そんな看護師さん達の看護する姿にあこがれて、自分も将来は、看護師になって、人のやくにたつ仕事をしたい、と思うようになりました。

看護師

後から母に聞いた話ですが、亡くなった祖母も看護師の仕事をしていたそうなので、自分にご縁のある仕事だったのかもしれない、と思うようになりました。

その後私は、中学、高校と進学して看護の専門学校へと進みました。幼い頃のぼんやりとした職業へのあこがれが、現実的になっていきました。

無事、専門学校での履修も終えて、希望通り、看護の仕事に就く事が出来ました。

仕事を始めたばかりの頃は、患者さんを前に緊張して、手際よく出来ない自分が、もどかしかったり、情けなかったりしていましたが、2年目になると、新入の看護師が仲間として迎え入れられましたので、自分は、1年先輩になったので、甘い気持ちでは、いられなくなりました。

今振り返ってみると、この時期から意欲的に仕事に取り組んで行ったと思います。

自分では、色々な小さなミスもしてきましたが、回りの方のご指導や声かけによって、なんとか看護師としてやっていく事が出来ました。

私は、結婚、出産の間のブランクもありましたが、看護師という仕事にプライドを持っていましたので、やり続ける事が出来たのだと思います。

この仕事をしていて、一番うれしい事は、患者さんやご家族の方に病気が良くなった時や退院する時に感謝の言葉をかけられる時だと思います。

自分では、患者さんの話を聞いたり、退院してからでも忘れずにいてくれたりする時は、この仕事を選んで、良かったな、と思います。

看護師は、患者さんと接する時間が長いので、自然と親しい気持ちになりますし、私は、患者さんから勇気や励まされている事がたくさんある、と感じる事が多いです。

私がナースになった理由。看護師は私の人生の宝物です。

看護師 以前看護師として働いていました、39歳の専業主婦です。

国立の看護学校を卒業しまして、今はもうなくなっていますが、国立病院の呼吸器外科の病棟に3年半勤務していました。

結婚を機に退職して、その後は、主に呼吸器系 の内科の個人医院に勤めました。

そちらも3年ほどで、妊娠、出産のため退職しまして、その後子供3人の育児のため、12年半ほど専業主婦をしています。

小学校の卒業文集の「10年後の私」という作文で、私は看護婦さんとして働いてますと書いていましたが、その頃は何となく思い付きで書いたように思います。

そんな事を書いたのも忘れて5年後の高校2年頃に、看護師を目指し始めたと記憶しています。

そもそも看護師を目指そうと思ったのは、子供の頃から喘息で体か弱かった私を父と母がよく看病してくれたこと。

苦しくて不安な気持ちを、看護師さんが優しく 接してくれて安心したこと。母が周りのお母さん達より歳が一回り上で、いろいろと大変な事が多かったようで、母が歳をとったときにいろいろとお世話ができるように勉強しておきたい、と思ったことです。

今でこそ高齢出産をする人はたくさんいますが、昔はあまりいなかったようで、気苦労も多かった様です。

高校生

高校生なりにいろいろと考え、目指すものを決断してがんばりました。

看護学校は、先生がとても厳しく、実技や病棟実習など、それまでの人生にない厳しく濃厚な3年間でした。

これから命を左右する現場で働くのだから、厳しくて当然!と今なら言えますが!当時は自分たちも一杯一杯で、何でこんなことで怒られるんだと腹ただしい思いをしたのを覚えています。

そんな厳しい経験があったからこそ、いざ看護師になったときに、メンタルの部分でも強くいれた気がします。

あの時の先生方に感謝ですね。

国家試験を乗り越え、看護師として初めて働いた職場は、呼吸器外科。でも外科だけでなく内科の患者さんや終末期の患者さんもいて、残業も多く辛いこともたくさんありました。

怖い先輩との付き合いや、個性の強い医者の先生との関わり方、それぞれの患者さんに合った看護、病気の奥深い知識などとても考えさせられる事ばかりでした。

でも、業務に追われる日々で、仕事を終わらせるのに毎日必死で、ちゃんと看護ができていたのかなと反省することも多かったと思います。

病棟の先輩方とはとても仲良くしていただいて、仕事の事だけでなく、冗談を言い合ったり、人生相談にものってもらったり、厳しい中でも楽しく仕事ができて、私は恵まれていたなぁと思います。

仕事から離れて12年以上経ちますが、働いていた頃の先生方、看護師の先輩方、退職してから一度も会っていませんが、名前もすぐに出てきますし、時々あの頃の病棟で働いていた夢も見ます。

そんな夢を見るたびに、看護師として働いていたあの頃は私の人生にとってすごく充実した、すごく貴重な、輝いてた時だったんだなと実感します。

今が専業主婦だから、余計にそう思えるのかもしれません。

ブランクが長いので、看護師に復帰するのはとても勇気が入りますが、もう少ししたらまた医療の現場で仕事がしたいと思っています。

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僕が看護師を決意したのは高校2年の夏の出来事があったからです。

男性 私は28歳の男性看護師です。

私が、高校2年の夏、父と二人でドライブに出かけました。

夏だというのに風は爽やかでよく晴れた気持ちのよい日でした。

父の運転する車は緩くカーブの続く道を走行していました。

車からは父と私が好きな曲が聞こえています。

父と私は曲に合わせて口ずさみながらドライブを楽しんでいました。

緩くカーブが続いた道も山頂に近ずくにつれカーブは急カーブになってきていました。

山頂から下ってきた大型トラックが急カーブを曲がりきれずラインを超えてきました。

父は咄嗟にハンドルを左に切りました。

その瞬間、私たちの乗る車と大型トラックは正面衝突をしてしまいました。

父がハンドルを左に切ってくれたお陰で私は怪我一つしていませんでした。

大型トラックの運転手にも怪我はありませんでした。

しかし、その中で父の足は運転席と前輪に挟まれてしまっていました。

血液がどんどん流れ出ています。足を抜くことはできません。

トラックの運転手が救急車を呼び、警察に連絡をしています。

父の足が挟まれ抜けないことも説明していました。

電話が終わると「ごめん、すいません・・」と繰り返し詫びていました。

救急車が到着するまで30分程かかりました。

30分がどれくらい長く感じたことか、その中で父の意識が段々遠のいっていきました。

挟まれ怪我をしている痛さか、止血ができないためか分かりません。

到着した救急車の隊員とレスキュー隊員が父の足を取りだしてくれました。

その場で父は応急処置をされ救急病院に搬送されました。

救急車

私は、将来どのような仕事に就きどのように生きていくかの考えが全くない平凡な高校生でした。

私は、この事故の一部始終を目の当たりにして、人のためにここまで一生懸命になれる人たちがいることに驚かされました。

私は、このとき看護師になることを決めました。

口の悪い人は、「医者になればよかったのに』といいますが、救急車の隊員の方の手際のよい応急処置は見事なものでした。

父の足は複雑骨折をしていたことは云うまでもありませんが、このときの処置がよかったお陰で切断を免れたのです。

怪我の回復とともにリハビリが始まりました。

救急車の隊員の方もリハビリをしてくれた看護師も男性でした。

医療の世界で活躍している男性を見て「看護師は女性の仕事」という概念がなくなり自分にもできるかもしれないと感じました。

今、私は、28歳です。

看護師になって5年目を迎えています。

配属されているのは自分の希望でもあった救急外来です。

瀕死の状態の患者さんが運ばれてくることが多いこの職場は緊張感との戦いです。

心配をし経過を見守る家族の気持ちも理解することができる自分には最適な職場だと自負しています。

私は、どんなに仕事が大変でも体が続き限り看護師を続けます。

看護師はお給料が良い面が最高です

看護師 私は、43歳の女性です。


そして看護師として17年働いていました。

現在、看護師としてではなく、別の職種で働いています。

しかし、ある程度の年齢になったら、また看護師として働きたいと思っているところです。

現在は、看護師として働いていた頃から、5年間は遠ざかっています。

そのため、技術など忘れることがないように、しっかりと勉強は欠かすことなく続けています。

私が今まで経験をした診療科としては、まず小児科です。

総合病院で勤務をしていて、小児科の配属でした。

そのとき、小児科で働くことが辛かったのです。

小児科というのは、子供と母親のケアが必要となります。

そのことは、とても精神的に辛いとおもっていました。

母親の方のケアが大変と思ったことがあるほどです。

母親は、子供のことになると、精神的に強いところがあります。

そのため、看護師に対してその気持ちをぶつけて来ることもあったからです。

そのときは、本当に小児科から変わりたいと思っていました。

またその次に配属となったのは、内科です。

内科では、入院患者さんの心のケアがとても大切となることを仕事をしながら、つくづく思った事でした。

私が看護師になりたいと思ったのは、高校生の時に両親の勧めがあったからでした。

私が、就職をしようと思ったときは、就職氷河期だったのです。

そのため、ニートと言われる人たちが多くいましたね。

そんなところから、やっぱり資格を取ることができる看護師がいいと両親が勧めてくれたのです。

その時、私には夢がありました。

それは、CAになる事です。

しかし、そのことは現実としてやっぱり無理を思うようになったのです。

その結果、看護師と言う堅実な仕事がいいだろうと思って、看護師になったのです。

看護師になって働き始めた時には、毎日大変でした。

同じ就職をした看護師の同期が、どんどんやめていったのです。

そのことを知っていましたが、せっかく就職をしたところなので、なんとか頑張ってみようという、そんな気持ちがありました。

そして看護師として2年目になった時、とても楽になったのです。

新人看護師が就職をして来ると、本当に楽になると言いますが、私もそのことを感じました。

精神的に2年目ということで、よくここまで頑張ってこれたという、自信を持つことができたのです。

その後は、とてもやりがいを感じて、働くことができました。

看護師になってよかったと思うこととして、やっぱりお給料が良いということですね。

そのことがあるので、辛い仕事、大変な仕事と思っても頑張ることができます。

看護師

涼美から看護師の志望動機のまとめの一言

看護師

看護師になった理由は、やはり病院にかかって、看護師さんの仕事ぶりを見てから、憧れを持ったり、転職だと思ったり、もちろんやりがいがあってお給料も良い。

色々ですね。

ナースのお仕事に悩んで辞めたくなった時は、一度「私はなぜ看護師になったのか?」という初心に帰ってみるのも良いことです。

お給料が良いのも一つの理由です。

他の職種に転職しても、なかなか今のお給料は手にすることはできません。資格の強みですよね。

どうしてもやめたくなって、でも一度やめても、働き場所は病院だけではなく、いろんなところがありますよ!

一度の人生。しっかり考えてみてください。

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